線維筋痛症になりやすい?

 

 

てとです。

 

 

自分の性格を分析するのは難しいです。

線維筋痛症の症状が出るまでの私に起きた事を

書いてみます。

 

 

子供の頃は、父親からの暴力を受けて母にも見放されて

中学生から高校卒業まで父方の叔母の家で暮らしてました。

 

20代前半で結婚して子供を産む。

夫の転職や事故、女性問題。

孫が出来て溺愛するようになった両親と親子の関係に

なりつつあった。

 

 

夫の転職で収入が落ち着かず、私は掛け持ちで働く事もあった。

子供が高校生になるまでは大変だった気がする。

 

何より子供の成長を願って働く毎日。

少年団、部活の引率も大変な事も多かったけど今は良い思い出。

学校行事には、子供の為だと参加して嫌な事も多かった。

 

 

息子が大学のセンター試験の前日に母親が救急車で運ばれ、

脳梗塞の疑いで検査をしても異常なし。

母親の仮病?騒がせや?の、始まり。

 

 

父が亡くなる。

母親が一緒に暮らすのが子供の役目だと、私の職場や夫の

職場にまで電話をしてくる。

 

 

結局、一緒に住む。

何回も具合が悪いと騒がれて救急車にお世話になったり病院に

連れて行ったり。

 

娘が就職で家から出る日の前日。

また、母の具合悪いが始まる。

私はその日が子育ての節目の日。

見送りが終わったら、自分を少し休めようと思ってた。

何より娘が居なくなることが寂しくて、やり場も無くて。

 

 

でも、娘が家を出ていく日も母親は寝込んでいた。

私に早く帰って来いと言った。

言われた通り帰って来ると、テレビを観て笑ってる母。

 

 

それからです。

私は母を前以上に恨みと憎しみと、言い切れない感情で一杯

になりました。

 

 

仕事に行く以外は部屋に閉じこもり、食事も作らない。

夫が弁当や総菜を買ってきて食べる。

 

ここまで書いてて、思い出すと胸が詰まる。

 

リウマチ科の医師に生い立ちの様な事を聞かれた時に自分からは

母親との確執は言えなかった。

娘が母親を嫌うなんて自分が冷たい人間だと思われるだけだと

思ったし、過去の自分を思い出すのが嫌だった。

 

 

夫が医師に呼ばれて話した。

 

私は、悲しくて泣く事も、嬉しくて泣く事もしなかった。

泣きたいと思っても冷静を装う。

人に自分の事を話す事も無かった。

相談されると相手の立場に立って考えて話す。

自分で言ってる事、自分も誰かに言って欲しいと思う。

 

 

上手く自分を表現出来ない。

甘える事が出来ない。

自分に自信が無い。

無理の限界を知らない。

母を嫌いでも、自分の中では好きな母を求めている。

 

 

私には欠落してる感情がある。

もっと楽に考えて頑張り過ぎないように。

 

溜め込む事が多すぎて爆発して身体に異変が出た。

 

これは、医師の見解で私の場合です。

線維筋痛症の人が全員、私みたいとは限りません。

 

 

病名が分かって私は母の存在を頭の中から消す。

性格も変われないし、母に病気になった事を伝えて

関りを最低限に。

 

それでも、やっぱり母が憎い。

私は自ら線維筋痛症になる生き方をしてきてたのかも。

 

もし、過去の自分か未来の自分。

どっちに会いたいと言われたら?

私は過去の自分に会いに行き、「泣きなっ!」て言いたい。

泣きたい時に泣いていたら、少しは楽だと思えるから。

 

 

 

今日も痛みが強いです。

暗い話題になりました。

 

明日は痛みが引きますように。

 

有り難う御座いました。